じっとりと蒸し暑い中で

これは先日実家に帰っていた時の話。今年から中学生になった甥は、これまでに比べ一気に増えた、夏休み中の課題の量に慄いておりました。そんな彼に、「面倒で時間がかかるやつから片付けろ」とアドバイスをし、実際一番面倒で時間がかかりそうな理科の自由研究を手伝ってやったのですが、課題一覧表には他にも読書感想文やら美術課題の作画やら、過去私自身も苦しめられてきたヤツらがずらり…当然終わらせてるはずはないしね!とりあえずこれらに手をつけておけ、本もとっとと買っておけ、と近所の本屋に連れ立ちました。指定図書の島の前で「ぜんっぜん魅力的じゃないなー」などとぼやいている甥。まぁね、普段本なんて漫画しか読まないサッカー少年だもんね。私は子供の頃から割と本を読むのは好きだったので、読書自体は苦ではないのですが、もちろんそんな子ばかりじゃないので、まず本を読めない子に読書感想文を書かせるのはこれまた一苦労なんだよなぁと今更気付きました。
2015年の課題図書は「夏の朝」(著 本田昌子)と「ブロード街の12日間」(著 デボラ・ホプキンソン)、そして「うなぎ 一億年の謎を追う」(著 塚本勝巳)の三冊。で、この本屋には先の二冊しか置いてなかったんですよ。どちらもピンとこない彼は苦渋の選択を強いられていたわけですが、パンフレットに載っていたうなぎの存在を知って「俺、これがいい。これにする。」と即決しておりました。やっぱ小説よりノンフィクションの方が読みやすいんでしょうね。取り寄せをお願いして一同ホッと一安心。いや、読むだけじゃダメなんだけど。

さて、実家に帰るとはいっても、飛行機にも乗るし一応"旅"扱いとして、私は私で本を一冊用意しておきました。いやあ、それにしてもKindleって便利。

黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (早川書房)

黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (早川書房)

なんだかんだで、移動中、就寝前と読む機会がありまして、帰りの飛行機の前にまたもう一冊買っちゃったんですけどね…。
ルーシー・ブラックマンさんが失踪して、ご家族が来日し、記者会見なんかも開いていた2000年の夏、その頃私は十代半ばでした。本の冒頭にもあったルーシーさんの顔写真も、うっすら見た記憶が…。とはいえ当時は、本州はしっこの片田舎で、一般学生が営むべき生活を営み、悩むべき物事に頭を抱えていた私は気に留めてなかったんですよね。だもんで事件の概要も全然掴んでなくって。そんな私がなぜこの本を読もうと思ったのか。きっかけは神戸連続児童殺傷事件の「少年A」が出版した『絶歌』を読んだ友人との会話の中で、果たしてあれは少年犯罪を防ぐ資料となり得るのかという話をしたことにあります。私は読んでないんでわかんないんですけど。なんとなく頭の中に残っていた時に、ノンフィクションの犯罪本として非常に評価が高かった本書を見つけまして、なんか長いし重いし移動の暇潰しにいいかも〜と軽い気持ちで購入したのでした。

この本の著者は外国人ジャーナリスト。これはとても・・・とりわけこの事件に関しては重要だと思います。
殺害されたのは、観光ビザで訪日し、六本木のホステスクラブで不法就労していたイギリス人女性ルーシー・ブラックマン。容疑者は在日韓国人二世の織原城二(この事件に関しては無罪が確定)。会わなかったかもしれない二人が日本で出会い、何かが起こって、ルーシーは死んだ。この事件を紐解くにあたり、著者のリチャード・ロイド・パリーはあらゆる背景に焦点を当てています。東京・六本木という街。日本独特の性風俗文化。移民とは異なる「在日」という存在。生まれながらにマイノリティである彼らが受ける差別やコミュニティ。日本警察の性質や構造的な問題。日本以外でも刊行しているようなので、日本文化の内部まで仔細に描写されていますね。そしてこれは、全くの外からの目線なので、新鮮なものでした。
たとえばこれは、本書の中で取り上げられている、文化人類学者アン・アリスンの言葉なんですけど、自身も日本のホステスクラブで働いた経験から、性的サービスが提供されない水商売の代表として「ホステスクラブで提供するのは、自我の射精のみである」と表現しておりました。確かに、決して低くはない金銭のやりとりの中で、女性性は必要とされていながらも、性的サービスが存在しないホステスクラブは、外国人にとっては奇異に映るのかもしれませんな。
ですが、この事件は秩序と規則で安全に守られたクラブ内で起こったものではない。やはり重要なのは、ルーシーや織原を取り巻く環境、辿った人生の足跡にあります。

この本の面白いところは、ミステリー小説のように進んでいくところで、つまり、「犯罪」を描いているのではなく「人間」を描いているってことですか。著者はルーシーに一度も会ったことはないし、織原とも殆ど直接話したことはないので、これは容易ではないと思います。けれど、著者は二人を取り巻く人々と対話を数多く重ね、ルーシーと織原を描いた。その語り口は、常に中立で愛情深くて、誰にも肩入れせずに皆を肯定しています。そして、日本社会や警察改革の必要性を指摘するジャーナリスティックな側面も持っています。


何はともあれ、犯罪本ってだけでなく普通の読み物としておすすめです。